30日「ザ!世界仰天ニュース」で「我が家の母はビョーキです」の作者、中村ユキさんの母親の話が特集されました。
中村ユキさんの母親は「統合失調症」という病気でした。
今回、番組では中村ユキさんが統合失調症の母親とどのような人生を送ってきたかということをドラマで再現されていました。
日本人の100人に1人はかかるといわれているこの病気。
中村ユキさんがどのように病気と向き合ったのか、内容をご紹介したいと思います。

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中村ユキさんと母親との歩み

中村ユキさんの母親、ヒサコさんは、ユキさんの父親の実家で慣れない育児に悪戦苦闘、そして、厳しいお姑さんとの関係にも悩むことになります。
そして、これがストレスになり、ヒサコさんは壊れ始めることになります。


中村ユキさんが4歳の、ヒサコさんが27歳のころでした。


ヒサコさんは「監視されている、眠れない、誰かが私の悪口を言っている」そんなことを口にするようになります。


また、時には近所の家から電話があり、かけつけるとヒサコさんが近所の家に土足で上がり込んで『みんなが悪口を言う』と泣きわめくこともありました。


周囲からもあの嫁はおかしい、と噂されますが、ユキさんの父親は「俺への当てつけで困らせている」とあまり相手にしません。


ついには、ヒサコさんは頭のおかしい嫁として、一人千葉の実家へ帰されます。


一方、娘のユキさんは、母親と一緒にいたい、と母の元にいきますが、母の状態は変わりません。
それどころか。娘を裸足のまま連れ出し、外を目をつぶらせて歩かせる始末。
そうしないと殺される、と言います。


そんなひどい状態が続き、ヒサコさんは精神科病院の隔離病棟に入院することになります。


病院では、精神分裂病(当時の呼び名)と診断されます。
現在の病名でいう「統合失調症」です。


治療は、主に薬物療法と精神療法で、ヒサコさんは1か月入院し、そのと退院。


そんな状態でも、やはり幼いユキさんには、母ヒサコさんの存在が一番。


その後、父、母、ユキさん3人は父の実家をでてアパート暮らしへ。
しかし、ギャンブル好きな父親は、相変わらずお金をギャンブルにつぎ込んいきます。


その状態でも、ヒサコさんは、向精神薬を飲みながら、パートで家計を支えていました


すると次は薬の副作用で激しい倦怠感におそわれ、仕事ができない。
でも仕事をしないと・・・という責任感で、ヒサコさんは薬を捨てます。
しかし、仕事の忙しさで頭が混乱してくると、またしても幻聴が聞こえるようになってくる、という悪循環に陥りることになります。


そしてユキさんが10歳の時にヒサコさんは豹変します。


ユキさんが目覚めると、母親はナイフをユキさんにつきつけていたのです。
一方で、時間がたって正気に戻るといつもの優しい母になるという状態に。


この状況から抜け出したくて、ヒサコさんは今度はお酒に頼るようになります。


このころのユキさんは、毎日学校から帰ると緊張したそうです。
無理もないですよね、母親の状態がわかりませんからね。


ただ、そんな状態でも、ユキさんが病気になればヒサコさんは心から心配してくれていたそう。


そして、ユキさんが11歳ごろから、ヒサコさんは少し変わり、ユキさんに生きるための術(お金のおろし方など)を教えてくれるようになっていきます。
それは、何かあっていつ自分がいなくなってもいいように、というヒサコさんの覚悟だったようです。


そんな母親の姿に、11歳だったユキさんも、「たくましく生きよう」と決めたそうです。


そしてユキさん18歳のときに母の決意で父と離婚。
このころのヒサコさんの病気の状態は、月に1~2回豹変する状態だったそうです。


年ごろになっても友達とも遊べないユキさんはついに、ヒサコさんに辛くあたるように。
そしてそれがまたヒサコさんのストレスになっていく、というサイクルでどんどんヒサコさんの病状は悪化していきました。


症状のパターンは増え、回復にも時間がかかるようになっていきます。
「消えたい」と口にすることも。
それでも体調がいいときは仕事を続けて懸命にユキさんを育てていたそうです。


こんな生活の中で、ユキさんが唯一の楽しみにしていたのが漫画です。

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その後、ユキさんは高校卒業して、大手デパートに就職。
仕事は充実していたが、家に帰ると現実に引き戻されるという毎日の中で、「人生一度なのでやりたいことをやろう」と入社3年でデパートを退職。
漫画の道に進むことに


するとこれがきっかけにヒサコさんの病状はさらに悪化。
私が全部悪いんだ、消えたいと言い、トイレの洗浄剤を飲もうとする、たばこを食べようとするなどの症状が現れます。


これではまずい、とユキさんは病院に相談して、ヒサコさんは1年の入院生活を送ることになります。


そしてユキさんは念願の漫画のアシスタントに。
このころは、母のことを気にせず大好きな仕事に打ち込める、という安堵感を味わった時間だったようです。


母と離れて1年。
退院の日は母が本当に治ったのか不安だったそう。


しかし、ヒサコさんは15キロ体重が増えて別人のようにふっくらしていて、穏やかな笑顔をうかべていたそうです。
病状はずいぶん回復していました。


それからは、同じ病気の人が集まる、地域生活支援センターにも通い、ユキさんも病気について積極的に知る努力をします。
病気を知らないことが一番怖いことで、正しく病気を知っていくことが大切だとユキさんは気づいたそうです。


そして、ユキさんは母と歩んだ道のりを漫画にしました。


その後、ヒサコさんは2013年に誤嚥が原因でこの世を去りました。
発病から36年だったそうです。

最近の治療現場とは?

最近の治療法として、千葉県の磯ヶ谷病院が紹介されていました。


統合失調症の原因は解明されていませんが、睡眠不足はよくないそうです。


治療法の一つとして紹介されていたのは、電気痙攣療法。
頭部に電気を流してけいれん発作をおこさせる方法のようです。


麻酔をするので恐怖感や痛みを減らしながら治療ができる、というメリットがあるそうです。
(治療の効果は個人差があります)


また、スタジオにいらっしゃったお医者さんのお話だと、自分の身近な人が統合失調症にかかった場合には、周囲の人たちがストレスを抱えないようにすることが大事なんだそうです。
なぜならストレスは言葉や態度で伝染するから、という理由です。


確かに、何か嫌なことあったのかなぁ?とかいうのは相手の態度を見れば大体わかりますもんね。
周囲の人の心がけも大切なんですね。


最後に中村ユキさんは、その症状をよく知らないことの方が怖い、ということ、そして精神疾患はまわりの環境が大事だ、ということもおしゃっていました。


皆のちょっとした心がけ、助け合いが大事になってくるのかもしれません。